鍼灸師の免許を取得したあと、カナダ(トロント)のSHIATSU CLINICがスタッフを募集していたので応募。運よく採用されて単身カナダへ渡る。
当クリニックは、セラピスト(治療師)のカナダ人4名と中国人2名、計6名のスタッフで治療に当たっていた。 野口創が最初に直面した困難は、言葉(英語)の壁であったが、夜間学校で英語を学びつつ昼はSHIATSU CLINICで多くの患者の治療にあたることで言葉を取得し、過ごすこと約2年。ついにスタッフナンバーワン(患者からの指名度)となる。
回復の見込みのないエイズ患者のやせ細った体をベットにむかえ、痛みや吐き気をとり心身の癒しのために指圧をした後の患者の和らいだ笑みに心うたれる。そうした体験を通して、欧米社会が、指圧、鍼灸、漢方薬などの東洋医学を西洋医学とは違う別の角度から人体を診るもう一つの医学として受け入れ、認めていることを実感し、自分は鍼灸師として生きていこうと決意を新たにする。
また欧米社会で尊敬と信頼を寄せられている日本人、神谷一信先生や松本岐子先生らに出会い、直接に指導を受けたことも野口創の大きな転機となる。
一念発起した野口創は、東洋医学の道をさらに究めるべく中国へ渡る。 まずは大連の東北財経大学で中国語の学習に1年。普通は2年かかる語学修得を何とか1年でやり終え、北京中医薬大学への留学がかなう。その講義の中で出会った2冊の書籍、『常用経穴臨床発揮』李世珍著・『従病例談 弁証論治』焦樹徳著、に衝撃的な感銘を受ける。 李世珍老中医は、北京から遙か遠方の河南省南陽市におられたが、野口創は、矢も楯もたまらず、厚かましくも押し掛け研修生となり、直接指導を受ける。さらにその後、野口創は、焦樹徳老中医にも弟子入りを頼み込み、北京において個人的な特別講義・指導をうける幸運に恵まれる。ますます東洋医学の偉大さに魅せられた野口創は、北京中医薬大学付属病院や中日友好病院での研修を重ね、鍼灸治療に自信を深めて帰国する。 中国滞在は4年に及んだ。


「西洋医学は病気を診て、東洋医学は病人を診る」という中国の師の言葉は奥が深いとしみじみ思う日々である。西洋医学は、あまりにも専門化され、細分化し過ぎて、今や大きな問題を抱えているのでないかと思う。一人の患者が専門医から専門医へとたらい回しされ、患者自身も病状の説明に窮し、何が原因で、どういう病気なのか解らないまま治療を諦めたらしい、そんな人の来院が増えてきているからである。局部別の診断や治療が正しくても患者の体全体が見えない、だから正しく診ることができない、そんな現実があるのでないかという危惧をいだいている。
診察室に入ってきた患者に目もくれずにカルテの書き込みをしていて、患者が椅子に座ってから顔をあげ、「どうなさいましたか」と聞いているようでは、病気を診ることはできない。つまり、患者が診察室に入ってきた、その瞬間から患者の表情や動きの全てを診ることが病人を診る、診察をするということなのだと老中医から教えられてきた。師の言葉をかみしめるこの頃である。
